Journal読書

ginger milk tea


風邪をひきかけていたので、生姜入りのミルクティーを作る。
といっても、茶葉を煮出して作るわけでもなく
少しのお湯でティーバッグをふやかして
牛乳入れて、生姜をすりおろして、レンジで温め、砂糖を入れて終了。
生姜を入れすぎて
「うっ…辛い…!」と思ったものの、激辛王のプライドが
「なんのこれしき!」と言っていたので、飲み干してやった。
全然体に優しそうじゃないです。


昨日に引き続き、『書きあぐねている人の小説入門』の備忘録。
どんなに「こういうシーンやこういう台詞を書いてやろう」と思って流れを準備してても
いざ、そこに入れると十中八九、浮いてしまう。という話で、
(以下、引用)

ゴダールがロッセリーニの映画について、こんなことを言っていた。
―――シーンというのはショットの積み重ねであり、それによって作り出された“流れ”のことだ。大事なのはその流れであって、一つひとつのショットの切れ味ではない。
 小説についても同じことが言える。映画や小説のように、ある程度の長さのあるものは、その作品は作者の意図を離れて、作品自体が“運動”している。そして、そこには事前の準備みたいなものを受け付けない力がある。

わたしは、写真をあまりピンで出すのが好きじゃなくて
いくつかの写真を集めて、全体の雰囲気を出そうとすることが多いんだが
(時には撮影場所も時間も異なる写真を使ったりもしている)
今までそういうことって、あまり合理的に説明できなかった。
それに、「こういう写真を撮ってやろう」と具体的に思ったとして
(ふつうは思っても撮れないんだけども)
もしそういうシーンに出会ってシャッターを切っても、99%作品にはならない。
それはやっぱり、ほかの作品と並べると浮くからだ。
別にストーリーを作りたいわけじゃないんだよなあ、と思っていたのだが
“流れ”とか、“運動”という言葉はすごくしっくりくるなあ、と思う。
音楽だったら“グルーヴ”だったりするのかもしれない。
なんとなくこれを読んで、うまく言葉にしてもらったような気がしたので
忘れないうちにメモ。

ginger milk tea” への2件のフィードバック

  1. 「流れ」と「運動」の話、興味深いです。
    例えば1つの細部を基点にする、文章や映像もあるだろうけど
    その細部は、全体の繋がりの中で違う意味を持ったり
    最終的な表現の力点が、別の部分や全体に移る事がある筈。
    全然関係ないけど私は、自分の最近あんまりやらなくなった作品制作と
    バカ旅行記やしょーもないB級映画感想を記したい欲求と言うか趣味のエネルギー(笑)
    同じ質のものだと近頃思う次第です。
    風邪、お大事に(引きかけに飲む物 私はホットレモネード派)。

  2. 事前に決めたことに固執するより、
    作品の「運動」に従って新しく構成する方が
    しっくりした感じになるみたいですね。
    (ちょうど、こういうことで悩んでいたところだったので、助かりました)
    でも、まだ慣れていないので、
    切り捨ててしまった部分をもったいないと思ったり、
    「流れ」や「運動」に従って進めてしまっても大丈夫なんだろうかと
    不安になってしまいます(苦笑)。

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