チュニジアメモ。
12/28
午後からゆっくり出発。
羽田から関空へ行き、そこからトルコ航空でイスタンブールへ。
イスタンブールからチュニスへ行くはずだった。
関空で3時間のディレイ。機長が急病で倒れたらしい。
イスタンブールまでは3人のクルーで飛行しなければならないとのことで
急遽キルギスタン経由で人員補充することに。
「キルギスタンて、どこ…」
と、ざわめくサテライト。
イスタンブールで5時間近くのインターバルがあったので
キルギスタンに寄ってもチュニス行きの飛行機には
間に合ったのだが、はらはらした。
12/29
チュニスに着いたのは午後2時すぎ。
シディ・ブ・サイドという青と白の町の瀟洒なレストランで
やや遅めの昼食。快晴で冬だというのにブーゲンビリアが
いたるところに咲き乱れている。美しい町だ。
チュニジアの観光客むけレストランはフォークの数で
格を決めているが、このへんは「自称」らしい。いいかげんだ。
食事のあとは遺跡めぐり。
・トフェの墓地
フェニキア人が信仰した神への供物は子供だったらしく
その子供達のお墓だと言われている。
墓に描かれた不思議なマークはチュニジアのシンボルにもなっており
タバコの箱にもプリントされていた。
なんか上野桜木の浄名院・四万八千体地蔵に似ている…
・港
カルタゴ時代からローマ時代にかけて使われていた軍港と商業港。
海側からは商業港しか見えない作りになっている。
軍港のほうは凪いでいて、空をうつした水面が綺麗。
・アントニウスの共同浴場
2世紀から4世紀まで、遠くのザグアン山から水をひっぱってきて
使われていたというスパ。
左の一番高い柱は20mあり、これ8本でドームを支え、
屋根の高さは50mに及んだと言うから、すごい規模の健康ランドだ。
どんだけ風呂好きなんだ。
左手は首相官邸とのことで「絶対に官邸にカメラはむけないでください」
と注意される。自動小銃を持った警備員がピリピリと警護していて
なんだか不穏なかんじ。政治が穏やかではないのだろうか。
一方の遺跡のほうはホロホロ鳥がテケテケ散歩してて
なんとも平和そうであった。
・ビュルサの丘
紀元前9世紀ごろ、カルタゴの人々が住み着いた丘。
ランダムに置かれたローマ時代の円柱の遺跡が
夕景にとけ込んでいて幻想的だった。
ここからのカルタゴ〜チュニスの眺めがすばらしかった。
閉まりかけのカルタゴ博物館に滑り込んで
少しだけコレクションを見る。
フランス統治時代の大聖堂も美しい。
夜、チュニスとカルタゴの間の町ラグレットでディナー。
ベリーダンスを見た。ダンサーがとっても
ふくよかで「ベリーダンスがダイエットに効くというのは
果たして本当なんだろうか…」と一同疑問に思う。
夜、チュニスエアーで砂漠のオアシス・トズールへ。
ここでも1時間ディレイ。どろどろに疲れているので
待ち時間も飛行中も爆睡していて記憶なし。
東京-大阪-イスタンブール-チュニス-トズールと
実に4回飛行機に乗ったわけだが
そのうち3本遅延ってどういう日なんだ。