新郷村は八戸から車で20−30分行ったところだろうか。
戸来(へらい)とヘブライという音が似ているということで
戸来村というところにあるのかと思っていたのだが、実際にキリストの墓があるところは新郷(しんごう)村という名前だ。
SさんIさんはすでに一度訪れたことがあるとのことで
ニヤニヤしつつ案内してくれた。
山の下に車を止めると、すでにこんなかんじの「ムー」的なロードマップが。
もう、ふつうに、何のツッコミもなく、偉人の墓的なかんじで「キリストの墓」という案内がある。
あと大石神ピラミッドも。なにがなにやら。
キリストの里公園。
当たり前のようにキリストの墓と書いてあります。そして唐突に出てくるイスキリって誰なんだ。(のちの看板でイスキリが誰なのかわかる)
キリストの墓の説明。キリストは12年も日本で修行し、ゴルゴダの丘で弟を身代わりにして生き延び、再び日本に戻ってきたと。で、身代わりになった弟の墓もついでに建てておいたよ、ということらしい。
毎年夏には「キリスト祭」という慰霊祭が行われ、ナニャドヤラ保存会のご婦人がたが、あの「ナニャ〜ドヤ〜ラ〜ナニャドナサレ〜ノ〜ナニャ〜ドヤ〜ラ〜」という節にあわせて盆踊りをするらしい。見たすぎる。
ちゃっかりイスラエルとも親交をあたためている。このあと訪れた戸来鎮座三嶽神社の宮司さんもイスラエルを訪問したと言っていた。キリストとイスキリの墓の間には唐突にヘブライ語の碑が設置されている。
墓のすぐ脇には伝承館という資料館があり、入ると新郷村の50〜100年前くらいの生活空間が再現されていて、どう見てもそのへんのマネキンの顔をすげたようなお人形がお出迎えしてくれる。このあたりの風習で、生まれた子のおでこに十字を書く風習があるらしい。怖いって。
伝承館ではいかにしてここがキリストの墓として「発見」されたかが詳しく説明されている。(新郷村の紹介が半分、キリストの墓など竹内清麿についての説明が半分くらい)とはいえ、わりと中立的に客観的に掛かれており、ヘブライ語との類似性が指摘されているナニャドヤラの謎も、柳田國男翁によって「若者の恋を後押しするような歌なのではないか」と分析されていると書かれていた。
しかし日清戦争の直前の日本で、日本史に「西洋が信じている神は日本で修行したのだ」という箔をつけたかったのだろうか。神代文字で書かれたものを現代語訳したという竹内文書というのは知れば知るほど「なんでこんなトンデモな文献が今の今まで語り継がれてしまったのか」と思う。あまりにキャッチーだったからではないか、と思っているのだが。
ちなみに伝承館の売店で売っていたプレミアムヨーグルトドリンクと、南部せんべいに生キャラメルがはさまったやつは美味しかった。
その後、そこからさらに車で10分ほど走ったところにある大石神ピラミッドへ。
ピラミッドというからには正三角錐のようなものを想像していたが、もちろんそんなものはなく、正確に方位を示す巨石や、星座を表すような傷のある巨石があるという「巨石信仰」のような場所で、ストーンヘンジに近い。
竹内を筆頭とする探査隊ご一行は「日本に7基あるといわれているうちの4つ目が見つかったと喜んだ」と書かれていたが、すでに見つかった3つのピラミッドが気になる。熊野のゴトビキ岩とかだろうか。
霧がいっそう深くなって、森のなかが神秘的なかんじになっていた。