7 days

3/12 土曜
朝、家に帰れず私の実家に泊まってもらった同僚と朝御飯。
とりあえず被災地の人と同調するために「赤いきつね」を朝から食べるtram氏。
同僚を駅の途中まで送って行く。天気がよく、谷中の墓地は
あまりに普通に変わらずあることに妙に違和感を感じる。

昨日の疲れで一日中布団の上で過ごす。
隣の部屋から聞こえてくるテレビの音で不安になる。

3/13 日曜
近所に買い物に出かける。
東京の下町は、ほぼ平常通り。
ベーグルを買って、近所の雑貨屋に様子をききにいって
皆無事とのことで安心する。

3/14 月曜
出勤。電車は5割程度の運行。
三田線は白金高輪までしか運行しないとのことで
浅草線で五反田まで出る。
同僚、パートナー、クライアントに安否確認。
元同僚の家族が連絡がつかないとのことで心配がつのる。

夜、大きな余震があり、同僚たちとFacebookでチャット。

テレビは見ないことにして、BGMはラジオにする。

3/15 火曜
まだ電車は5割程度で三田経由で出勤。
夜、静岡で大きな地震。同僚の実家があるので心配するものの
災害エリート教育をうけている静岡県民はほぼ無事に乗り切ったようで
そのすごさを思い知る。NZと同じ規模の地震だったらしいが。
この夜も独りでいるのが怖くて同僚とチャット。
このときばかりは会社が全面的にFacebookをやっててくれたことに感謝。

まだ自宅対応の人も多い。

3/16 水曜
ようやく電車も7割程度の運行になり、ほぼ平常に。
仕事はさすがに詰まっているのでこの日はかなり集中して仕事をした。

比較的スムーズに帰れるかと思いきや千代田線は車両点検で暫くストップしてしまった。

コンビニにものがない

そろそろ買い占めのニュースなども聞かれ始める。
買い占めをしているのはおそらくTwitterを見ていない高齢の方が多いのではないだろうか。
戦中戦後を経験して、飢餓に対して私たちより過敏なのだと思う。
東北の地震が南関東にもくるかもしれない、という恐怖もわかるし、
あまり頭ごなしに責められないかもなあと思ったり。

節電も叫ばれはじめ、看板を消す店舗も多くなってきた。

コンビニも消灯

地下鉄のエスカレーターやエレベーターも停止。表示灯も消えていて
パリやNYの地下鉄みたいに暗い。

南北線のエスカレーターも停止。

3/17 木曜
会議で新宿へ。
あの日、新宿の高層ビルはものすごい揺れかたをしたらしく
キャスター付きの椅子は壁から反対側の壁まで往復していたらしい。
立っていられなかったとのこと。
通常なら11日はこのビルの28階で会議をやるはずだったので戦慄する。

会社に戻ったものの、大規模停電が予想され17時で撤収命令。
同じく早めに撤収して帰路の途中の友人を捕まえて
地元の中華料理屋で軽く飲み。
人と話していて少し気分が楽になるものの、解散して家についた瞬間に地震。
そろそろ息が詰ってくるのか地元の焼き鳥屋なんかは満席だった。

祈り、というテーマでinstagramに写真を数点投稿。
#prayforjapanのタグをつけていたからか、どうやら世界の多くの人の
その写真が届いたようだ。がんばれというメッセージをくれた人もいて、ネットの世界に少し感動する。

目黒の教会の聖母子像などを撮ってしまうような気分ではある。

聖母子

3/18 金曜
電車は7割程度の運行。スムーズに通勤できる。
この日も大規模停電が予想され15時に撤収してもいいことになったのだが
仕事が終わらず、結局18時まで。
あいかわらず震度3くらいの地震は毎日くるのだが、このくらいでは
動じなくなってしまった。