love, longing


百貨店各店で「ゆかたフェア」が始まっているので
時間をみつけては百貨店にいそいそと足を運び
矯めつ眇めつ反物をみるのが、ここ最近の楽しみだ。
(反物を買って仕立てる人は、だいたい5月には買い物を済ませてしまうのだが
幸か不幸か、今年はこれといった柄に巡り会わず、まだ私は反物を買っていない。)
6月からの「ゆかたフェア」は、”吊るし”と呼ばれる既製品が中心になる。
こうなると各社腕の見せどころで、さまざまな企画を立て、宣伝をうつ。
(が、まだ早すぎて全然人はいない。)
2008年は記録的にゆかたが売れた年だ。
洋服が壊滅的で、5月からSALEをして現金を稼がねばならない百貨店だから
さぞかし力を入れてくるだろう、と思ったが、意外とショボくて肩すかしを食らってしまった。
自分だったら和雑貨だけじゃなくて、もっといろいろな小物を合わせたいのに、とか
ブランド別ではなくて、柄別とか色別とかで並べたらいいのに、とか
もっと価格のレンジを広げればいいのに、とか
もっと店員さんの接客の仕方を変えればいいのに、とか
もっと1ラック内の商品数を少なくすればいいのに、とか
もっと「仕立てる」ことの特別感を、アピールすればいいのに、とか
ああ、もう、売り場の責任者に直接言いたい!とか
アパレルのころは1ピクセルも浮かんでこなかったアイディアが
どんどん湧いてくる。(実際売れるかわかんないけど)
好き、というだけで、こんなにも色々と考えられるもんなのだ。
アパレル企業に入った時のわたしは、洋服が心底好きなわけではなかった。
服飾の専門学校に行っていたわけではなかったし、心酔しているデザイナーもいなかった。
それがいつもコンプレックスだった。
新作を心待ちにして、デパートや路面店に通いつめる同僚や、
自分でデザインして自分で縫える同僚を、いつも羨ましく思っていた。
あらゆる女性誌を読みまくり、市場調査をして、適応能力を駆使して、
最低限無難なものを作るスキルは身に付けたが、
「もっと自由に発想しろ」、「もっと遊びがあるものを作れ」と言われるのが苦痛だった。
周囲の人に恵まれて色々やらせてもらえて楽しいことのほうが多かったが、
5年勤めて、辞めた。
距離を置くと見えてくるものがある。
その業界にどっぷり浸かっていると、売上げ目標や、昨年対比の数字や、
顧客や在庫や人間関係など、ノイズが大きすぎるのだ。
カリスマ主婦やカリスマ販売員がプロデュースしたものが売れると
プロは苦笑いをするけれど、彼女たちにはしがらみというものがない。
「好き」というだけで、自由に、奔放に、(無責任に)アイディアが出せる。
「どうしてもこういうのが欲しい!」という情熱がある。
そういうパワーを、業界全体が渇望しているのだろう。
最近、時間を惜しんで都内の百貨店を視察している自分。
「あの頃に、この情熱があればな。」と、つくづく思う。