「8割、ゴミ。」についての補足。
作品が自分にとってゴミレベルのものでしかなかった、のではない。
ガラクタやラクガキで構成されている作品が多すぎたのだ。
アンドレ・ブルトンの作品を見て、当時の人々が
「え、これを芸術って言うの?」という疑問を
現代でも新鮮に感じさせるのは凄いことかもしれないが。
廃品を並べたり、同人誌レベルのイラストをアートだというのは
別にかまわない。アートの定義は本当に広く、多面的だから。
しかし、そういうものを集めて「マイクロポップ」という枠でくくり、
アンチイデオロギーだのドゥルーズだのポストモダンだのと
小難しい定義をつけている美術評論家・松●みどり氏の手法が
ちょっと気に入らないのだった。
大竹伸郎の作品は、そんなこと言わなくたって
ちゃんとすごいじゃないか。
もうちょっと緩急のついた編集だったら面白かったのにな。
水戸芸は次回に期待。
あたしはやっぱり美しいもの、魂にとどくものが見たい。
“junk” への2件のフィードバック
そうですね。
心に届かない、でも世間ではアートと呼ばれているものは多分
目的が違うく、作られてるんだろうなぁ・・・と感じます。
なかなか心が動くものにはめぐり合えない、今日この頃です。
>みさとさん
どんなに汚くても、魂にとどく作品はありますよね。ロスコとか大竹伸郎とか、別に「大スキダー!」というわけではないのですが、本物を目前にすると引き込まれます。
最近はそういうの、あんまりないんですよね。。。
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