朝、ちょっと早く起きてベランダの植物に水をやる。
あたしはいつも、その後5分くらい
(ほんとうはもっと短い間かもしれない。)
じろじろと植物を眺める。
じろじろしている間は何も考えていないわけではなくて
「新しい茎がでてきたぞ」とか
「この葉っぱは萎れているけど、乾きに強いから平気だろう」とか
「花が終わったら切りつめろと言うけど、面倒だな」とか
考えているのだが、それと同時に
「わたしはいつもベランダで植物をじろじろみているな」とか
「”新しい茎”だと認識するのは、昨日とは違う視覚情報の断片を
集めて統合した段階で、「アタラシイ」という言葉に至る前に、
すでにわたしの思考はどこか別のことに飛んでしまったな」とか
「墓参りの人がわたしを見つけたら不気味に思うだろうな」とか
(うちのベランダからは一面の墓場が見えるので)
そんな思考が並走している。
舞台で役者が順番に台詞をしゃべっているというよりは
ふたりの役者が同時にしゃべっていて
意識的にどちらかにスポットライトを当てているような感覚で
こういうのは誰にでもあると思うのだが
それをスパっと言い表す言葉(たとえば
「本当はないはずなのに、どこかで見たことがあるような感覚」を
「既視感」というような)が、思いつかないな、と思った。
日本語以外だと、しっくりくる単語があったりするんだろうか。
“a double rut” への6件のフィードバック
その写真はどこで撮ったものなのかが気になりますよ。
ゴーディーなお部屋とか鞄とか最近好きです。
一緒にセレブごっこもしようねー←何をもってセレブなのかはこの際無視で。敢えて言うなれば片手に必ず携帯(耳にあてがうだけでも可。)、キャミソールにデニムをブーツインなかんじで。笑
うんうん。わかるよ、その感覚。
私は自分の中に、さらに2人いて、たまに会話したり…
何かを見ながら違う事考えてたり、、、
ひとりごとともちょっとちがう感じ。
セラピストやってる友達に、私の中にまだ私がいるっていったら、「うん、そうだね」って、ばれていた。。。
これがひどくなると、多重人格になるんだね。きっと。。。
>希琳ちゃん
これ、福島の天鏡閣という皇族の別荘みたいな
ところです。調度品がいちいち可愛かった。
セレブごっこ!ティアドロップ型のサングラスに
ベースボールキャップですかね。(古い?)
もしくはペラペラのワンピースに毛皮とか。
>きただちん
そうそう、会話したりもしてるよね!
よかった、自分だけじゃなくて…。
ひとりごと、っていうのは言葉になってる段階だけど
もっともやもやした状態でいろいろなイメージが
うかびあがっては消えていく状態って、あるよね。
んー。わかるなぁそれ。
斜め後ろくらいの位置から私の事見てる瞬間が多々あるよ私も。自分の事を、「この子」とか呼んだりすんだよね(笑)
ただ会話したことがなくてね。後ろの私と、ここの私はあくまで一方通行な関係。今度お話してみよう(笑)
わかるような気がします。
私のも同じような感覚だと思うんですけど、
日常的な感覚だったせいか
あんまり意識していなかったので、
はっきりと自分で断定できないんですよね。
>seikoちん
「この子」!!www
なんで自分を見る視点って斜め後ろなんだろう。
あたしもそうなんだけど。
>蜜柑さん
あたりまえの感覚なのに、でももしかしたら
あたしだけかも?と思うことってありますよね。
文章にするとグダグダなんだけど
それを書くのがまた楽しかったり。
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