construction

卒制発表会。
個人的には発表できるレベルに至っていないと反省しつつ。
ツメが甘いとの講評は甘んじて受けるとして
webも含めて写真の「見せ方」をもっと考えなくては、と思い至ったこと
聴講の方々には写真と製本に関しては好ましい反応をもらえたこと
そんなかんじで収穫はまずまず。
本の構造というのは本当に面白くて、上製本を自分で作るとなると
相当手間がかかる。ミリ単位の細かな採寸や、厳密な手順があり
息が詰まるような細かい作業があるにも関わらず
できるものといえば、見慣れた「ただの本」なのだ。
それが好い。
表紙やカバー、見返し、化粧トビラの紙を選ぶのも楽しい。
花切れ(単行本の糊付け部分の天地についてる飾りみたいなやつ)と
スピン(栞ひも)の色を紙と合わせるのも、
着物のコーディネートを考えているようで面白い。
東急ハンズの製本コーナーが意外にも充実していて
花ぎれやスピンが詰め合わせで売られているなんてことも
こんな機会でもなければ一生知らなかっただろう。

construction” への4件のフィードバック

  1. 卒制発表もう終わっちゃったの!?見に行きたかったな!
    「息が詰まるような細かい作業があるにも関わらず
    できるものといえば、見慣れた「ただの本」なのだ。
    それが好い。」
    すごい共感!
    あからさまに手がかかっていて、それが誰しもに伝わって、でも、だからといって心が動くわけではなくて。逆に、なんか知んないけどすごい心が惹かれたり、下手すりゃ手抜いてんの?くらいに感じる作品に目が釘付けになっちゃったり…。
    実際は遠回りに遠回りを重ねて行き着いてても、んなこた誰にもわからないじゃん?
    でも、それでいいのよ。そうであるべきなのよ。と思う。
    そこの温度差を埋めるものって結局、時代だったりフィーリングだったり、運だったり、目に見えないものなわけで。そこの感覚とかせめぎあいを客観的に見ちゃうと、すごい刺激や興奮が感じられたりして。

  2. 作品について、どこまで説明するか、というような
    話も出たんだけど、やっぱり「わかりやすさ」も必要だと思った。痛感した。
    本を構築するのはあくまで自己満足でしかなくて、写真集を見る人は装丁よりも中の写真がどう見えるかが大事なんだよな。今回そこがすっぽり抜けたかんじで反省です。
    デザイナーという仕事はいつでもアルチザン(職人)とアーティストとのはざまで揺れるものだけど、個人的には一般ウケしつつも、わかる人がニヤリとするようなものが作れるとよいなあ、と思う。
    作り手が説明しなくても、見る人が考えなくても、「いい」と思えるものを計算して出せるのがプロなんだろうね。

  3. 私は「わかりやすさ」を追求するあまり深いものができないので、そのへんはすごいジレンマだよ。
    わかってくれない人は切り捨てるくらいの強気の姿勢でイイものができたらね。まいさんは世界が構築できてると思うので、そのまま走ってもみんなついてくると思うなー。
    「仕事」になってしまうとなかなか難しいけどねぇ。

  4. デザインって結局は情報を整理する仕事で、実はあんまりセンスとかオリジナリティは必要ないとも思うんだよね。クライアントが言う「センス良い」っていうのは、結局はマスに受け入れられる綺麗な仕事、という場合がほとんどで、びっくりするような斬新なアイディアはそれなりに「仕掛け」がないとブレイクしないような気がする。
    クライアントが何を求めているかによって、自分の何処の部分を使うか、ですな。

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