学生時分は文学部だったので、どうも抽象的な概念に重きを
置きがちだったのだが、今度通っている学校は専門学校だけあって、
実践的な授業が多い。
課題作品のプレゼンは「そこまですべてのパーツに意味づけを
しなければいかんもんなのかのう…」と言うくらい
細かく色や形や配置やフォントにツッコミを入れられ
それに対して全てに合理的かつ簡潔なコメントで切り返さねば
ならないのだが、これが結構面白い。まさに訓練というかんじだ。
一方で、
作る人は考える/見る人は考えない
作る人は悩む/見る人は悩まない
という空しい現実も突きつけられる。
作り手の思い入れなどは数%しか伝わらないまま
作品だけで判断される。
アパレルにいた頃は、後半部分がどうもいまいちだったようだ。
どれだけ企画を練ろうと、メーカーに再三リテイク出そうと
展示会で褒められようと、そんなことはコンシューマーには関係ない。
要は商品でコミュニケーションできてるか、ってことだったんだな。
(今頃気づいても遅いっつう話だが)
なんてア○キーの編集者の講演を聴きつつ反省した睦月初日。
“cogito!” への1件のフィードバック
>作る人は考える/見る人は考えない
>作る人は悩む/見る人は悩まない
だから、さらに作る側は考えなくてない
考えない人に売るために、
悩まずに購入させるため
自分たちの意図で、ものの売り上げ、タレントの人気などを
コントロールするため、あらゆる手段、方法を使い、
そのためにはお金を惜しまず投下する
そんな資本主義社会の中で、
あらゆるコミュニケーションを売り物する仕事がある
その現実を知らずに生きていくか、
さらにその上に乗っていくか
自分の考え、こだわりは、
本当に自分自身で考えたものか?
それを虚しいと考えるか、
フロンティアと考えるか
考えることでしか前に進めない
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