Iran : chai

閑話休題。イランの飲み物について。
イランの正式名称は「イラン・イスラム共和国」。
1979年のイスラム革命によって宗教上の最高指導者が
国の最高権力を持つことになった。
この革命以来、とにかく色々なことが「イスラム的」になったようだ。
(女性がスカーフを被らねばならなかったり、長い服を着なければいけなかったり。)
トルコのように政教分離ではないので、当然お酒は飲めない。
でも、ちょっと裏の場所に行けば売っているし
ホームパーティーなんかでは飲む人もいるんだそうだ。
とはいえ勿論おおっぴらに酒が飲めないので
街で泥酔している人はもちろんいない。
(その代わり、若者の間ではドラッグが流行ってるらしい)
じゃあみんな食事の時はチャイなのか?というと
そんなことなくて、ノンアルコールビールというものが
何種類も販売されている。瓶も缶もあって、デザインもそれっぽい。
これにはリンゴ味とかレモン味もあって、ジュースほど甘くなく美味しい。

コーラ的な味も好まれるらしく、ZAM ZAMというメーカーが
「コーラのようなもの」を作っている。味はそのまんまコカ・コーラだ。
アメリカと国交がないにも関わらずCoca Colaのロゴだけは
よく見かけるのだが、これは勝手にロゴを使っているらしい。
(国交が復活したら真っ先に訴えられるな・・・)
日常的によく読まれるのは紅茶で、ちいさなチャイグラスで
何倍も飲む。喫茶店のことは「チャイハネ」と言う。
水煙草を飲める場所がくっついているところも多いようだ。
ちょっとした焼き菓子と紅茶(ポット)で、ひとり150円ほど。
トルコでは瓢箪型のチャイグラスだが
イランでは取っ手がついているものが流行っているらしい。
これなら熱くても持てるし、便利なのだな。
(うちもバザールで1セット買った。)

自前の魔法瓶にお湯を入れるドライバーのデボゾルギさん。
街のキオスクみたいな店では、路上に大きなサモワール(湯沸かし器?)を置いて
お湯を提供している。

「トルコみたいに、バザール内をまわって
チャイを売っている人はいないの?」と聞いたら
「イランではないなあ。
冷めちゃうし、どんな水使ってるかわかんないし、
なんかやじゃね?」
とのこと。
近くて遠い国らしい・・・

Iran : Esfahan-Kashan-Qom-Tehran

2009年5月6日
イラン最終日。
朝、ホテルを出発。2時間ほど走ってカーシャンの町へ。
砂漠や礫漠が続く。
建設途中のモスク。(なんかかわいい)

カーシャンはキャヴィール砂漠に隣接するオアシス都市で
小さい町だが薔薇の産地で、ここで作った薔薇水で
聖地の屋根を洗うらしい。

「ほい!」
■ フィン庭園
アッバース一世が作った小さな別荘。
すぐ近くに砂漠があるとは思えないほど
こんこんと、大量の水が湧いている。
泉から庭園を水路がはりめぐらされていて
天然の噴水が庭を飾る。

あずまやの天井のアラベスクが美しい。

地下の浴室では、ガージャール時代の宰相・アミーレ・キャビールが
自殺した(殺された?)ところらしい。
修学旅行できている女の子に、なぜかサインを求められたので
縦書き&漢字でサインしてあげた。
一生読めないと思うが、まあ記念ってことで。
いたるところで薔薇水が売られていて、
どれも薔薇のドライフラワーのなかに飾られているので
庭園中、よい香が漂っている。
薔薇って、花は好きなのだが香はいまいち、と思っていたが
ここにきてすっかり好きになってしまった。
あまったるくなく、なんともすっとした香なのだ。
薔薇の種類にもよるんだろうが。
■ 聖地ゴム
さらに車で2時間ほど走り、聖地ゴムへ。
ちょうどエスファハンとテヘランの間くらいになる。
ここはマハシュドに次ぐシーア派の聖地ということもあって
世界各国から人々がお参りにくるという。
エイヴァーン(丸屋根)と数々のミナレット(尖塔)が工場群のようにそびえている。
なかでも金色のエイヴァーンをいただいた聖廟がすごそうだが
異教徒のわたしたちはハズラテ・マアスーメ聖域の
門の前までしか行けない。

門をくぐるおばあちゃんが、振り返り振り返り
写真を撮るわたしのほうを見てにこにこしていた。
こういう聖地や観光地では、イランの田舎からもたくさん人が来ていて
日本人なんて初めてみたわーっていう人が多い。
少し英語が話せる人は必ず話しかけてくる。
とおくから聖地を撮っていたら、Canonのカメラを褒められた。

道にはターバンをした人もよく見かける。
ターバンをしている人は聖職者なのだという。
この人はナンを持っている。お昼用?
ゴムの町は、いかにも門前町というかんじで活気がある。
お土産のお菓子や、ナン、コーランを売る店がある。
ガイドのガンバリさんは、ほんとに顔の広い人で
ここでも知り合いの聖職者の人とばったり会っていた。
英語がじょうずで、時間があれば観光客むけの講座に
招待したいのだが、とありがたい申し出をうけたのだが
残念ながら時間切れ。

クレーンが生えてきちゃったモスク。
ミナレット(尖塔)を建てるのも大変そうだ。
■ テヘラン
ゴムからテヘランの空港へ。
ここで1週間お世話になったガンバリさんともお別れ。
丁寧に歴史や文化を説明してくれて、イランのよいところを
たくさん教えてくれた。
近代、革命や戦争を経験して、今もアメリカにテロ支援国家とか言われているけれど
人々はみんな親切で、食べ物が美味しく、景色がダイナミックな国だ。
次はカスピ海のほうを旅する、そのときもまた案内して、と約束してお別れ。
で、お約束のようにイラン航空は3時間のディレイ。
そんなとほほーなかんじも愛しいイラン旅行でありました。
イラン旅行記はこれにて終了。
読んでくださってありがとうございました。

Iran : Esfahan 5

昼休みが終わり、宮殿が開くまでエマーム広場の芝生でごろごろしていると
学生らしき女の子が話しかけてきた。
聞くところによると英語を勉強しているらしく、課題が
「中国の結婚式について」
記事を読まねばならないらしい。
残念ながら日本人なのよ~と言いつつ、しばしおしゃべりする。
21歳と言っていたが、こっちの女の子はみんなデフォルトで
叶姉妹みたいな顔つきなので、すごくおとなっぽく見える。
■ アーリー・ガープー宮殿

入ると、高い天井の通路があるのだが、
この空間、対角線上にふたりが立ってコーナーのほうを向き
小声で喋ると反対側にいる人に聞こえるような造りになっている。
みんな、友人や知らない人同士でこそこそ喋っていてかわいかった。

大きなバルコニーがひときわ目を惹く宮殿へ。
なかでも、一番有名なのが最上階にある音楽堂で
音響のために壁に穴があいているのだが
それがみんな楽器のかたちをしていてかわいい。

■ マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー

こぢんまりしているのだが瀟洒な造りで、エイヴァーン(ドーム屋根)の内側の
モザイクは、あまりに緻密でCGのようだ。
ちょうど、入り口から光りが入り、ドームの内側の孔雀模様に反射して
孔雀のしっぽのように見えるのだそうだ。

なるほど美しい。
■ マスジェデ・エマーム
革命以前は「シャーの寺院」と呼ばれていた、とガイドブックには書いてあったが
ガイドさんはふつうに「シャーの寺院」と言っていた。
通称はそっちのほうなのかもしれない。
ここはとにかく広大で、エイヴァーンもメッカの方角を指して
広場に対して45°の角度で建っているのがダイナミックなかんじがする。
なかには神学校や礼拝堂がある。
広場はがらーんとしているが、これが礼拝の金曜になると
ブルーシートが敷かれてえらいことになるらしい。

このあたりでガイドさんが蕩々と説明をしていると
学生らしき女の子が3人ついてきた。
ガイドさんもまんざらではないらしく日本語とペルシャ語のバイリンガルでガイドをはじめる。
女の子にガムをもらって、「おかげで吐き気もちょっと収まったわー」と言ったら
嬉しそうにしていた。
随分まじめに聞いているなあと思ったら、ふたりは卒業したばかり
ひとりは現役の学生さんなんだそうだ。

もう一度訪れたバザールで、b様は更紗のテーブルクロス
わたしは「ギャズ」という、ココナツをかためたハイチュウみたいなお菓子を買った。
エスファハン名物らしい。
更紗工房のおじいちゃん。
右手にスタンプを縛り付けて、がんがん布に押していく。
そこでプリントされた枠の中を染料で塗っていくのだそうだ。知らなかった。
なんだかこの人、うちのじいちゃんに似ている。

Iran : Esfahan 4

2009年5月5日
ということで、食中毒明けで、絶食なり。
とはいえ、イラン観光のメインともいえるエスファハン。
世界の半分と言われるエスファハンを参らないとは
日本に来て京都に行かないようなものなのです。
胃が痙攣していようとも、カメラを持って出陣なのです。
■ ヴァンク教会
いきなり、キリスト教の教会へ。
イスラム教というと、どうも排他的なイメージなのだが
(かつては)他宗教に寛容な国も多く、トルコにも、
そしてここイランにもアルメニアの正教会がある。
ヴァンク教会のあるジョルファー地区には古くから
アルメニア人が多く住み着いており、かつては6万人もいたとのこと。
実に13もの教会が現存している。
ヴァンク教会はアルメニア正教らしい建築で
そここに、聖人の壁画が描かれている。特に礼拝堂の絵は見事なものだった。

併設した博物館では、高校の修学旅行生とかちあい
「ジョモン!ジョモーン!」と声をかけられる。
どうも、今イランで大流行している韓国の時代劇ドラマらしい。
おぼえたての英語で話しかけてくれる。会話になるのが嬉しいらしいが
こちらが質問したことには50%くらいしか応えられない。
おたがいヒアリング能力を鍛えようぜ。

アルメニア博物館には、髪の毛の上に書かれた聖文(もちろん顕微鏡でしか見えない)や
世界最小の0.7gの聖書など、トンデモなお宝がたくさんあるのであった。
ここはなかなかの見所。
■ マスジェデ・ジャーメ
創建は8世紀という法隆寺なみに古い寺院。
なかはとても落ち着いた雰囲気で、日干し煉瓦がアーチを作るホールや
幾何学模様の天井が今までみたこともないような模様を描いている。
まるで複雑なパッチワークのようだ。



目眩に耐えつつ、それでも写真は撮りつつ、なんとか凌いで昼食。
エマーム広場の中にあるレストランで食事をした。
ここの給仕は、めずらしくネクタイをしていた。
イランでは「反イスラム的」ということで、ネクタイを嫌うとガイドブックに書いてあったが、
実はそうでもないらしい。
(ガイドのガンバリさんも事務所ではネクタイをしていると言っていた。)
ここでタイ王国からの観光客ご一行と一緒になったのだが
ひとり、素で、まったくスカーフをかぶっていないおばちゃんがいた。
ちょっと頭からずれちゃってる、とか、風でめくれてる、とかは許されるのだが
まったく被ってない、というのは奇異なものに映るらしく
ガンバリさんのほうが動揺していた。
「もう、裸で歩いてるようなものです!」とまで言っていた。そこまでか。
もしかしたら強烈な仏教徒で、スカーフを被るのを拒否しているのかも・・・
ちなみに、ご一行のツアコン男子二名とは、少し話もした。
そもそも彼ら、裏原宿系の男の子みたいにオシャレなんだけど、
どうも日本人でも台湾人でも韓国人でも中国人でもないような雰囲気で、
遠くで見つつ、わたしとガンバリさんは
「スリランカ人?」「いや~ちがうでしょ~。もっと東アジアだよ。」と噂していたのだ。
で、とうとうガンバリさんが我慢しきれずに、本人に「ねえねえ、何人?」と聞いた次第。
タイとイランと日本の出会いであった・・・(異文化コミュニケーション。)
彼ら沖縄に2ヶ月も滞在したことがあるらしく、少し日本語がしゃべれる。
わたしが「コップンカァ(ありがと!)バイバイ。」とタイ語で挨拶したら
「サヨナラー!キヲツケテ~」って日本語で返してくれた。
タイの人はニコニコしてて良いなー。

Iran : Esfahan 3

すっかり美術館を満喫し、本命のエマーム広場へ。
ごちゃごちゃしたバザールの入り口から入り、
人を避けつつ広場側に出ると、そのスケールの大きさに驚く。
右手に宮殿、正面に寺院、左手にも寺院。中央に噴水。
バザールの入り口ゲイサリーイェ門も、古い壁画やモザイクで飾られ
歴史的な面影を残す。
■ バーザーレ・エスファハーン
宮殿や寺院の見学は、ガイドさんがついてくれる明日にまわして
バザールを中心に見ていく。トルコよりもスレてなくて
お土産もやぼったい。日本語で話しかけてくる人も少ない。
奥に行くと、地元の人や、バザールの人向けの食器などもある。
ちょっと歩くと分岐して拡がっていく。まるで迷路だ。

金物屋とか

路地に入ると、こんな更紗の工房を兼ねた店なんかもある。

喧噪を抜けると、こんなに静かな広場があったり。
寺院があり、お祈りをする人もいる。
疲れたので、チャイハネを探すが見つからない。
これがヴェネツィアのサンマルコ広場だったら
50mおきにカフェが椅子とテーブルを置いて
法外なチャージを取っているというのに・・・
(そのかわり。芝生に座ってピクニックしている人が多いので、必要ないのかも。)
そのへんの店のお兄ちゃんに「チャイハネを探しているのだけど」と声をかけると
「地下のと2階のとあるけど、どっちがいい?」と聞かれたので
「2階がいいな。」と答えると、親切にも、店の前まで案内してくれた。
もちろん、お菓子とか絨毯とかお土産とかネットとか、必要だったら寄ってね!と
ショップカードを渡していったが。イランの人って、基本的に親切で、しかもしつこくない。
ほんとにここでいいんだろうか?という狭い入り口。

なんだか怪しげな水煙草をふかすスペース。

「チャイ?煙草?」と聞かれるので「チャイ」と答えると
テラスに案内してくれた。
観光客でひしめいていたが、エマーム広場が見渡せる絶景のポイント。
これはガイドブックにも載ってない(と思う)穴場だと思う。

すごいパースペクティブ!
チャイと焼き菓子がついて、3人で450円。安っ!(サンマルコ広場の1/10以下だ…)
すっかり満足して、買い物の続き・・・と思ったが
突然、目眩と吐き気に襲われてダウン。
へろへろになってホテルに戻ると案の定、ひどく吐いた。
あ~~~このかんじは知っている。
人生2度目の
旅 先 で 食 中 毒・・・・・(死亡)
ちなみに1度目はシンガポールにて海鮮にヤられました。
中国でも東南アジアでもアフリカでも大丈夫なのに…
というわけで、夜の散歩は行かずに撃沈。

Iran : Esfahan 2

■ 自然史博物館
一度ホテルに戻ってから、夕食までは少し時間があったので
自由行動!
まずはエマーム広場を目指す。
と、柵で囲まれた前庭に、なにやら恐竜のようなものが。
これはもしや、私の好きな科学博物館系?と思って近づくと
やはり自然史博物館であった。
これがなんというかキチガイ系で、恐竜の骨なんて
みんな木で作ったレプリカなのだが
もとは宮殿だったのか、豪奢な作りなのだが薄暗く、
中央、左右には鳥類の剥製が、まるで羽ばたいているようなポーズで並べられている。

動物の剥製は奇形の牛などがさりげなく混ざっており
陳列ケースには、ひからびた植物や貝殻の標本、
トドメは人間の奇形のホルマリン漬けが出口のところに
さらりと置いてあるのであった。ううう。ごめんなさい。

この、微妙にかわいいのが、なんとも・・・
■ チェヘル・ソトゥーン庭園美術館
その次は、となりにあるチェヘル・ソトゥーン庭園美術館へ。
庭園美術館というのは、あとから知ったのであって
たまたま券売所に人がいたので、50円ばかり追加して入ってみたら
なんとも美しい宮殿だったのだ。

サファヴィー朝時代のもので、壁画が美しい。
宮殿の屋根には鏡が貼り付けられ、前庭には噴水と薔薇。
屋根のバランスを考えると驚くほど細い印象をうける柱には
鏡がみっしり貼り付けられていたらしい。
どんだけキラキラしてたんだか。


宮殿の内部は美術館になっている。

とても残念な顔をした柱の装飾。獅子?猿??

Iran : Esfahan 1

ヤズドから3時間強、だんだんと緑が増え、中央分離帯に薔薇の花が見え始めると
「イランの真珠」と呼ばれる古都・エスファハンの街である。
(ちなみにドブロヴニクはアドリア海の真珠で、キューバはカリブ海の真珠だが
エスファハンは、むちゃくちゃ内陸に位置している。念のため。)
サッカーチームの男子たち。
車窓からカメラを向けたら大騒ぎ。
お前ら、かわいいなー!

エスファハンは7世紀ごろから人が集まり、16世紀のサファヴィー朝の首都になる。
今でもイラン第2の都市だ。
ガイドのガンバリさん曰く、
「エスファハンの人は大阪人に似ています。しゃべるアクセントも違うし、
冗談を言って人を笑わせるのが好き。」
だそうで。
しゃべりかたも、どことなくゆっくりしているらしい。
そのへんは大阪というより京都か?古都だし。
荷物をピールージホテルに置いて、まずはランチ。
延々と並木道が続くチャハールバーゲ(四つの庭園)通りは
ザーヤンデ川をはさんで上チャハールバーゲと下チャハールバーゲに分けられるほど長く
エスファハンの街を東西に二分している。
道沿いにはブティックやジューススタンド、ファーストフード店が並ぶが
もちろんマクドナルドやスタバや外資系ブランドは1軒もないあたりは
銀座や表参道というより浅草に近い。
マネキンもこんなイケてるし。

ジューススタンド。
ニンジンジュースも人気があるようで、軒先でオヤジがニンジンの皮を剥いているのを
よく見かけた。

ランチはイランや外国人問わず観光客に大人気の「シャフルザード」へ。
団体客も入れる、いわば「精養軒」みたいなレストランだ。
オープンして30年以上の老舗で、中はごってりとした装飾が
いかにも昭和臭ただようかんじでGood。
名物のフェッセンジャン(鶏肉を胡桃の油と甘いソースで煮たもの)をいただいた。
ランチの後は、腹ごなしに散歩。
イラン航空でリコンファームしてもらった後、ガンバリさん旧知の
絨毯屋さんで、いろいろな絨毯を出してもらう。
買う気もなく、b様が検討しているあいだ、店の兄ちゃんと
「指さし会話帳」を見ながらお喋りしていた。
イランの人から見ても、とてもいい本だと言っていた。
(英語圏以外を旅慣れている人には周知だが、この本、ほんとに使えます。)
しかも、兄ちゃん、六本木の「パース」のご主人とトモダチらしい。
仕事でミッドタウンに通ってたときは、よく前を通ったわ~。世界は狭い!
なんとか買わずに逃げ出し、公園をぶらぶら通ってホテルへ。

途中、大きな公園を通ったのだが、緑が濃くて美しい。
イランというとヤズドのような皪漠ばかりかと思っていたのだが
テヘランといい、エスファハンといい、東京よりも緑が多いのではないかと思う。
(それを打ち消すほどの排気ガスなのだが・・・)

並木道にベンチとともに置かれた健康器具。
使い方と効果がいまいち不明であったが。

Iran : Yazd – Esfahan

2009年5月4日
ヤズド市内観光。
■広場
人も少なく、がらんとした広場で一番目立つのは
昔モスクとして使われていたアミール・チャグマーグのタキーイェ。

タキーイェというのは宮殿やモスクやバザールなどの集合体で
15世紀頃に建てられたものだという。
宮殿の前には、おおきな桃のようなかたちの御輿が。
御輿といっても骨組みだけで、祭の当日はこれに様々な飾りをつけるそうだ。

交差点のむこうには、ぽっかりと黒く口をあけたバザールが見えるのだが
残念ながら行く時間はなさそうだ。
「バザールはエスファハンで行きますよ」とガイドのガンバリさんには言われたけど
バザールならどこのバザールだって見たいのだ。
アルミ屋さん

■マスジェデ・ジャーミ
ジャーミーというとトルコ語では「大寺院・大聖堂」をさすのだが
ペルシャ語では寺院を表すのは「マスジェデ」で、「ジャーミ」は集まるという意味らしい。
中はひんやりとしていて、人の気配はない。
メヘラブ(メッカの方向を示す祭壇)の前では、珍しく女性がお祈りしていた。

モザイクタイルで埋め尽くされた壁には古い置き時計が置かれていたり。
いろいろな時代の煉瓦が見られるのだが、なかでもモンゴル時代のものが
変わったデザインであった。無数の眼にも見える。

さて、これから300kmほど北に移動して、古都・エスファハンへ。
わたしたちが、ヤズド名所を見ているあいだ、デボゾルギさんは
名物の「ゴッタプ」をお土産に買って、わたしたちにも味見させてくれた。
豆を練ったような、むにっとした食感で、甘く煮た生姜の味がする。
粉砂糖がまぶしてあって、どこか懐かしい味。
たぶん和菓子で似たものがあるはずだ。紅茶とよく合う。
長距離運転に備えて、デボゾルギさんは道ばたのサモワールでお湯を調達。
サモワールを置いていた雑貨店の軒先に売られて(?)いたロバのぬいぐるみ。
マヌケ時空が発生しております。

およそ300kmの移動だが、「3時間くらいで着きます。」とのこと。
アベレージは100km/hですか・・・
ほとんど砂漠や礫漠のような風景を見ながらドライブ。
途中、警官に止められたが、とりあえずセーフだったらしい。
高速は道もよく、車も少ないが平日は混んでいるのだそうだ。
それに、トラックは併走する旧道を通らねばならないらしい。
途中、砂漠のまんなかで車がいきなり止まったので、なんだろうと思ったら
犬が3匹、道を横断しているのであった。
「このへんに住んでる人の飼い犬?」と聞いたら
「野 犬 で す 。」
だそうです。
イランの人は動物を飼う習慣がないらしく、猫も犬もほとんど見ない。
イスラム圏では皆、猫をかわいがるのかと思っていたが、
(ムハンマドが猫をかわいがったという伝説があるため)
イランはそうでもないらしい。
道でみかけた猫も3匹くらいだったが、どいつも臆病だった。
商店では、たまに店の軒先に鳥籠をつるして、美しい声で啼く鳥を入れてあるのだが。

Iran : Yazd

なんだかんだで6時間以上ドライブし、ヤズドの州内に入る。
イランは日本の4倍ほどの国土があるのだが、40の州しかないらしく
ひとつの州がとんでもなく広い。
■ 沈黙の塔
名前からしてすごくかっこいいのだが、これはゾロアスター教の鳥葬の場所。
あの丸い塔のなかに死体を置き、鳥に食べてもらうことによって
遺体を天に届けるという意味があるらしい。
骨まで食べさせるように遺体を粉砕するというのがヘヴィだが
さすがに最近は火葬にスイッチしているようで、沈黙の塔は現役では使われていない。
しかし、ゾロアスター教のなかでは大切なモニュメントとされているのか
フェンスがはりめぐらされていて山のふもとにすら近づけないのであった。

ヤズドにはゾロアスター教徒の人もかなり住んでいるらしいが
なにしろ観光客ですらスカーフを被らねばならない国なので
外見からは誰がゾロアスター教徒なのかはわからない。
たまに、おばあさんなどは「火」を表す赤い衣服の人もいるというが
残念ながら見かけることはなかった。
■ ゾロアスター教寺院
思ったよりもずっと新しく、公民館のような印象のゾロアスター教寺院。
屋根の中央には、シンボルである「アフラ・マズダ」のマークが。

なかに入ると奥に部屋があり、ガラスの窓で仕切られている。
そのむこうには1500年間燃え続けているという聖火が。
火の番人なのか、ただの当番なのか、なんとも雰囲気のあるお爺さんが
座っていたので、その人からポストカードを買った。

運転手のデボゾルギさんは、ここまででおつとめ終了。
ランチの時にペルシャ語を教えてくれたり
(ガイドのガンバリさん曰く、訛ってるらしいが)
実に気の良いおじちゃんであった。
■ ホテル
ヤズドのモシール・ママレク・ホテル・ガーデンは、旅行中いちばんゴージャスだった。
なんでもまっとうなホテルは2軒しかないらしいのだが
わたしたちが泊まったガーデンホテルは、もともと大統領の別邸を改装したもので
狭い入り口からは想像も付かないほど中は広い。
細い通路を通り抜けるとそこは食堂で、赤と青の鸚鵡が。
運転手のデボゾルギさんは携帯で写真を撮っていた。
どうも、ヤズドに友人がいるので、そこに寄ってゆっくり帰るらしい。

鸚鵡の名前はロミオとジュリエット。
イランは8時近くまで明るいので、庭のベンチでしばし読書。
なんだか、薔薇があんまり綺麗で、鳥の声がして、静かで。
たぶん死ぬまで忘れないような、詩的な風景であった。

柘榴の花とベンチ。

薔薇。
食堂を抜けると、噴水があり、薔薇やスイカズラや柘榴の花の咲き乱れる広い庭がある。
夕方だからか、スイカズラのとてもよい(ジャスミンよりもすっきりした)甘い香り。
わたしたちは風通しのある別館の一室であった。

建物の上に付いている四角い箱のようなものが「風通し」。今はクーラーがあるが
風情があるので、お金持ちは新築の家にも付けるらしい。
夕食のときに、ガイドさんがなにやら電話でキレまくっているので
なにかトラブルか?と思ったら、明日手配していた車が事故ったとのこと。
事故にあった車は州外に出られないのだそうだ。
明日はエスファハンまで行かなくちゃいけないのにー!
と思っていたら、運良く電話でデボゾルギさんを捕まえられたらしく
明日、エスファハンまで乗せていってもらうことに!
よかったよ~~~。

Iran : Siraz – Yazd 1

シラーズから砂漠の町・ヤズドへ約430km、車で移動する。
■サービスエリア
イランのサービスエリアはちょっとした公園のようになっていて
売店もあり綺麗。
車にはポットとお茶セットが積んであり
途中立ち寄ったサービスエリアで、ドライバーのデボゾルギさんがチャイを入れてくれた。
デボゾルギさんはガチムチ系の気の良いおっちゃんで
ダッシュボードにはターコイズのペンダントをした猫のぬいぐるみを置いている。
猫が好きなんだそうだ。
おやつを食べながら、ガイドのガンバリさんが
日本のJリーグや、世界ふしぎ発見!のアテンドをした話などを聞く。
世界ふしぎ発見のロケは、普段入れない寺院のミナレット(尖塔)に
昇ったりして楽しかったらしい。うらやましい!

給水塔と黄色い花。
■冷蔵庫
これは途中立ち寄った天然冷蔵庫。
Dr.スランプに出てくる「う○ち」みたいなかたちをしているが
中に入ると4mほど床が掘り下げられており、内部は当然ひんやりしている。

■杉の木
樹齢4000年と言われている杉の木。
日本の来宮神社の杉が推定2000年というのを聞くと
なんかこぢんまりとしているというか、
ほんとに4000年なのか・・・?というところだが、まあ伝説ってことで。

オランダ人の団体さんがピクニックをしていた。
ガンバリさんは「オランダの人はいつもピクニックしてます!」と
言い切っていたのだが、お国柄なんだろうか。
■蜃気楼
ヤズドに近づくにつれ、荒野の灌木はだんだん数が減って
とうとう皪漠(れきばく)になる。道をはずれると砂漠も拡がっているらしい。
地平線に蜃気楼が見えている。
(地平線すれすれに見えるビル群のようなもの)

■山
有名な「鷲の山」オガップ・クー。
鷲はオガップ、山はクーというらしい。
「獅子山」はシール・クー。
イランの山は、平地から突然隆起して山になったかんじ。
地層もはっきり見えていてまるでグランドキャニオンのようなダイナミックな景色が続く。

ちなみに延々と続くイラン最大の山脈「ザクロス山脈」は
ザクロの語源なんだそうだ。初めて知った。
ペルシャ語ではザクロを「アナール」と言う。
トルコでは「ナール」で、言語体系は違うのだが
こんなふうに似ている単語も結構ある。(日本語と韓国語みたいなもん)
430kmを、途中の休憩やランチをはさんで約7時間で走破する。
イランの高速は最高120kmまで出して良いので
道が空いていれば430kmごとき4時間半で走れる計算だ。
ただ、最近は警察が厳しいらしく、しょっちゅうネズミ捕りしているとのこと。
イランでは交通の要所(高速の分岐点など)には大きな検問所があり
トラックは積荷の検査をされる。普通乗用車もトランクを開けて
中をあらためられたりと入念だ。
麻薬などの摘発が目的だそうだが、
「ほんとの運び屋はこんな道通りません。」だそうです。
4WDで砂漠の中を走っていくんだそうだ。

Iran : Siraz 2

■サーディー廟
イランで人気のある詩人の廟。
建物に至る道には噴水があり、薔薇が咲き乱れ
日差しはきらきらしていてまるで楽園のようだ。
廟内にはピンクの制服を着た小学生たちが
ちょこまかしてて可愛かった。
地下には地下水が流れ込む池があり、魚も泳いでいる。
なんとも不思議な構造。

かくれんぼ。
■ハーフェズ廟
サーディーと並んで(サーディー以上に)イランで人気の
ハーフェズの墓。
こちらはハーフェズの詩集を手にした人々が訪れ
詩を諳んじているようであった。
この詩人については和訳を読んでいないので
ガイドさんの翻訳だけではその形而上的かつ神秘的な
内容までうかがい知ることはできなかったのだが
とにかくこの18世紀の詩人は老若男女だれからも愛されているらしい。
教科書で無理矢理覚えさせられるものもあるらしいが
詩集をぱっと開いて、その頁の詩で自分を占ったりする
ハーフェズ占いなんてのもあるらしい。

ふたりの女。
■ヴェキーユ・バーザール
イランに来て初めてのバザール。
雰囲気はトルコやチュニジアに似ているが
もっと古びたかんじで、売っているものもいなたくて
埃を被っているせいか、どれも骨董品に見えるのであった。

市場の美しい天井とコスプレおじさん
途中、シラーズ名物?の「ファルデ」というスイーツを食べる。
これは片栗粉を半分といて凍らせ、半分は乾いた春雨くらいの細さにして
それにシロップをかけて食べる・・・文字にすると難しいのだが
口に入れた瞬間ほろほろと溶けていくかんじが新感覚であった。

わたしはダークチェリーのシロップをかけて食べた。
バザールでtram氏はゾロアスターのシンボルマークの置物を、
b様は香辛料屋でサフランを購入。
わたしは写真ばかり撮っていて買い物ができなかった。

Iran : Siraz 1

2009年5月2日
イラン2日目はテヘランから飛行機で1時間ばかり南下した
イラン第3の都市シラーズ。
古代遺跡群・ベルセポリスへ行くにはこの町が起点になる。
■ベルセポリス
車を降りて少し歩くと、高台の上に
神殿の柱のようなものが建っているのが見える。
ローマやアグリジェントと比べてしまうと
遺跡が転々としていて、がらーんとした印象。

しかし、今まで見たことのないローマでもないギリシャでもない
ゾロアスター教の神々は興味深い。
当時ペルシャが統括していた23の国々の人々が
生き生きと描かれた壁画がおもしろい。
メディア、パルティアという2大強国の仕官が
他の国々をひきいているのだが、みんな手をつないでいる。
なんかほのぼのしてしまうのであった。

今でも、イランでは手をつなぐのは親愛や尊敬の証だそうで
男女問わず、よく手を握るのだとか。
それもイスラム革命後、男性が女性と握手するのも
どうもよろしくないということになっているらしい。
なんとも世知辛い話だ。
■ナブシェロスタム
ダレイオスI世とその息子、孫の墓。
こうしてみると、大きさがピンとこないが
中央やや下に人が歩いているのが見えるだろうか。
十字に切り込まれた意匠はキリスト教のようでもあるが
紀元前のものだ。
ヨルダンのペトラ遺跡もこんなスケールなんであろうか。
近くにはゾロアスター教で使われたと思われる四角い建物もある。

■コーランゲート
シラーズの町の入り口に戻る。
コーランゲートとはその名前の通り、コーランの門。
コーランを模した美しい意匠で、まわりは公園になっており
詩人の彫像や花壇があり、休日には滝も流れるらしい。
芝生ではピクニックしている人もいるのだが
しかしここ、バイパスのすぐ脇なのであった。
排ガスが・・・!!

Iran : Tehran

5月1日
泊まったホテルはテヘランの中心部。
考古学博物館のすぐ裏のあたりだった。
■考古学博物館
ドイツ人建築家による堂々たる建物の考古学博物館。
しかし、門扉に立っている警備員のお兄さんは
バ ナ ナ 食 べ て ま す 。 ゆるーい。

バナナの皮をぷらんぷらんさせながら歩いていくお兄さん。
考古学博物館の中には
紀元前5千年くらいからの貴重なお宝がたくさんあるのだが
なかでも動物をかたどったものがおもしろい。

これは
N O V A う さ ぎ ?
■アサダーバード宮殿博物館
次はテヘランの北にあるアサダーバード宮殿博物館へ。
途中、すずかけの並木が数キロ続くのだが
新緑が非常に美しい。
テヘランて乾いた都市というイメージだったので
緑が多いことに驚く。

宮殿自体はこぢんまりとしたもので、近世の宮殿ということでいえば
トルコのドルマバフチェ宮殿には足下にも及ばないかんじではあるが
それでもフランスに影響を受けた調度品などはたいそう美しかった。

宮殿の前にある足下を残して倒されてしまったシャー(国王)の銅像。
奇しくも現代アート風になってしまっている。

■絨毯博物館
大阪万博のころを思わせるレトロ近未来な建築。
中には国宝級のカーペットが展示されている。
絨毯のよしあしは素材と染料、そしてラッジの数で決まるそうな。
ラッジとは7cm四方に結び目がいくつあるかという単位で
高価なものになると120ラッジを越えるものもある。
織物と言うよりもプリントのように見えるのであった。
なかに、世界の偉人と建築を織った珍しい絨毯があるのだが
さて、日本はどれでしょう?と質問されたが
それらしき人物も建築も見つからない。

「正解はこれです。」

(写真中央。)
「誰これ。」
こんなアフロの人は知らない。
ガイドさんも、
「日本のお客さんは誰一人、どれが日本か当てられたためしがないです。」
と言っていた。そりゃそうだろう。
夕刻になったので、国内線で1時間ほど移動しシラーズへ。

Iran : Tokyo – Tehran


2009年4月30日
成田空港からイラン航空でテヘランまで。
途中、北京を経由するがトランジットはないので
直行便ということになる。
成田空港でチェックインしようとすると
係員のお姉さんが「イラン航空、遅れてるようです。」という。
「よく遅れるんですよ。ははは。」だって。
お姉さんの予告通り、3時間のディレイ。
23時到着予定だったのが、テヘランに着いたのは5/1の午前3時すぎ。
荷物をピックアップしたらもう4時に近くなっていた。
テヘラン空港はまだ出来て2年とのことで、
イスタンブール空港に負けず劣らず大きくて綺麗。
でも東京と同じく、街の中心から離れているので評判が悪いらしい。
(しかも電車もバスもないので、マイカーかタクシーで行くしかないとのこと。)
迎えにきてくれたのは、今回のガイドのムスタファ=レザ・ガンバリモフラドさん。
「どうも、ガンバリです。いやあ大変でしたね。どうぞ!」なんて
めちゃくちゃ日本語が流暢なのである。
聞けば、日本でのべ2年ほども働いていたこともあるとのこと。
彼は、日本人のイランに対するイメージの悪さを嘆いておられた。
まあたしかに、15年くらい前には不法滞在のイラン人が
テレホンカード売ってたし、濃縮ウランで世界中から
(とくにアメリカから)困った子扱いされてるし、
イラクと近いからなんかテロとか危なそうだし、
イメージといってもそのくらいしかない。
ガンバリさん曰く
「イランではテロもないし犯罪も少ないですが
唯 一 危 険 な の は 車 で す 。 
轢かれないように気をつけてください。」
とのこと。
たしかに、交通ルールがあるようなないような。
わたしたちが到着したのは、イスラムの休日である金曜日だったため
まだ車が少ないらしい。それでも一般道を80kmくらいで爆走しているし
左折するから左のレーンに寄る、とか、そういう思想はないらしく
中央車線からいきなり左折してきたりする。
もちろんウィンカーも出さない。車間は極力詰める。
ぼーっと歩いていたら10分間に3回くらい轢かれそうだ。こええええ。
まずはホテルに着いて休んでくださいとのことで
2,3時間軽く眠ってから出発することになった。
写真は町中に咲く薔薇。
本当に路肩にもどこにも薔薇がよく植えられている。
ちょうど今は美しい時期だそう。